比叡山延暦寺の焼き討ちは嘘?歴史や観光スポットをご紹介!

最近は女子の間でも、歴史ブームが巻き起こっていますよね。人気の武将で常にトップ5入りする人物と言えば、織田信長ではないでしょうか。

今回は、世界遺産にもなった比叡山延暦寺が、信長の焼き討ちにあったと言われる所以や、実は歴史に嘘があるのでは?という情報を、観光スポットに交えながら紹介したいと思います。

比叡山延暦寺は焼き討ちにされたの?


出典:art11.photozou.jp

今でも多くの人を魅了してやまない歴史上の人物の一人が、織田信長です。好きか嫌いかは別として、その破天荒ぶりは知らない人がいないでしょう。

スケールの大きなこともやり遂げた人ではありますが、非人道的なこともやってきた人でもありました。

中でも歴史の授業で必ず取り上げられるのが「比叡山延暦寺の焼き討ち事件」でしょう。

事件の名前だけは聞いたことあるという人のために、簡単に概要を説明すると…。

比叡山の歴史

1571年、織田軍の敵方にあたる「浅井家」と「朝倉家」を手助けしたとして、比叡山延暦寺を焼き討ちにするよう命じ、根絶やしにするがごとく、女子供も容赦なく、その犠牲者は男女問わず数千人にも上ったとされています。

比叡山延暦寺の焼きちは嘘だった説が?!

お寺を焼き討ちにするなんて、信長は宗教自体を否定していたのでしょうか?

実は、近年の発掘調査によって、非人道的な歴史である比叡山延暦寺の焼き討ちはなかった説というのが浮上しています。

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焼き討ちにあったとされる場所での発掘調査で、本当に焼き打ちされたのであれば、燃えた木材片などが多数あってもおかしくなく、また、何千人ともいわれる犠牲者の骨すら見つかっていないのです。

現代のように、記録に残るようなフィルムや映像があるわけではく、史実としての書き物が記録としてあるだけです。

記録を残した人物は、その場にいた人物ではなかったので、たとえボヤ騒ぎ程度の出火であったとしても、デフォルメされたことは十分考えられることです。

その当時は、お寺の僧侶の生活全般の「腐敗」が取りざたされており、懲らしめのために何らかの手を打ったことは間違いないようですが、大虐殺などなかったのかもしれませんね。

比叡山延暦寺の観光スポットとしての魅力は?

あれから時を経て、平成6年にユネスコの世界遺産登録された比叡山延暦寺ですが、1200年の長い歴史と日本仏教の最も代表的な聖地としての評価がなされたわけです。

全国に250以上ある天台宗の総本家である比叡山延暦寺は、とにかく敷地が広いのです。その面積は、なんと東京ドーム100個分と言われていますから、見どころも満載です。

おみくじ発祥の地と言われている「四季講堂」や、修行体験ができる「居士林」、他では見ることのできない貴重な展示物がある「延暦寺宝物館」など、たくさんのおすすめスポットがあるのが大きな魅力です。

おわりに

空前の歴史ブームと言われる昨今ですが、今は、バラエティや情報番組でも、いろんな歴史上の人物が取り上げられています。

小学校で習う社会の授業などは、有名どころの史実しか扱いませんが、時代とともに、その史実さえもひっくり返ってしまうこともありますよね。

歴史とは過去のことなので、「本当の真実」は知る由もありませんが、こんなことがあったのだな~という思いを巡らせながら、観光地を回るのも、ある意味供養になるのではないでしょうか。